聖書のみの錯覚、誤解

4、モデル4 聖書主義理論(1メイン・パイプ理論)
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この理論は、啓示と神学の真理を取り出すためには、文字どおり総合説明書である「聖書のみ」でよいということを主張する。その代りに口伝や儀式的伝統を否定することはいうにおよばず、聖書を教会的に解釈するという意味での伝統の役割を否定する。
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今日のプロテスタント陣営の混乱の原因の一つは、この聖書主義理論こそ宗教改革者の立場であると錯覚されていることである。実のところ、この理論はルターやカルヴァンら主流派の宗教改革者たちがモデル2の意味で「聖書のみ」と主張しつつも伝統を重んじたことに対し不満を抱き、文字通り「聖書のみ」を宣言した急進的宗教改革、とくに再洗礼派の流れから登場したモデルであった。
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19世紀のアメリカ合衆国で風靡した信仰覚醒運動の中で、信条主義に反対する聖書主義という形で日本はじめ東アジア諸国に移植されたのである。

棚村重行、『現代人のための教理師ガイド』、 94頁f

聖書信仰とはなにか、というテーマでここしばらく福音主義教会の中に混乱が起こっているようです。1981年10がつから1983年2月までの11回、日本プロテスタント聖書信仰同盟の機関紙『聖書信仰』に掲載された中澤啓介先生の文書を読みつつ、棚村先生の本を読み返しました。

原因はプロテスタント教会を標榜する教会が、自分たちがどのようにして生まれて来たかを学んでいないということにあるのではなか、ということです。今年2017年は、宗教改革500年なので、このところをしっかりと学ぶ必要があると思いました。

正統的プロテスタント教会は、この聖書主義理論(1メイン・パイプ理論)に立っているのではなく、単一源泉理論(1メイン・パイプ/補助パイプ理論)にたっているということです。単一源泉理論とは以下の通りです。

この理論をイメージ化すると、福音というガソリン液は、聖書正典という主要のパイプを通して注がれるが、そのメインパイプから正しくガソリンをエンジンに注ぐ「伝統」という補助パイプも認めるのである。

棚村、『現代人のための教理師ガイド』、91頁f

それにしてもこの棚村先生のご本はなんとわかりやすいことでしょう。数年すれば電気自動車ばかりになるそうですが、そうなるとこの本の理解が難しくなるかもしれません。


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