耐える
2017年7月20日(木)

私は、健康が破壊されるのを経験いたします度に、心の奥の方で、病気の利益ということを、新しく知るのでございます。それはちょうど人が孤独でいて、(その苦しみがあまりひどくない時のことでございますが)、静かに自分の中に沈潜し、自分を再び見出し、沈思する余裕のある、あの状態に似ております。

・・・

ごらんのように、わたくしは耐えております。落胆する瞬間はございます。わたくしは、そういう気分が起こるままに筆にいたします。けれども、それは表面的なことにすぎません。根本的には、一切は良く行っております。

〔シュザンヌ・ド・ヴィスム〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
220頁

「あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。 」(ヘブル10・36)

病いの中にあって忍耐する牧師夫人シュザンヌ・ド・ヴィスム。

病気の苦しみの中で落胆することはあるけれども、同時に耐えていると語ります。耐えることは落胆しないことではありません。

病気の中で積極的な行動がゆるされないときに、静かに自分の中に沈潜し、自分を見出し、沈思すること。苦しみがひどい時にはそれは難しいことではありますが、そうではないときには、それは病気とその中で忍耐する信仰とが生み出す積極的な面なのだと思います。


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