人生の逆説
2017年7月16日(日)
われわれが切望する多くのものは、われわれがそれらを望まないときにのみ、得られるものなのだ。それらは、いわば、副産物なのである。幸福は、その一例である。・・・善もまた、このような副産物である。
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イエスが、道学者のように、人々に善人になることをすすめてはいない、そうではなく、人々に、どうすれば幸せになれるかを教えているということである。例えば、山上の説教は、幸福への処方箋を含んでいる。それは、七福の教えといわれ、幸福は、他のことがら、例えば、素朴さ、謙遜、慈悲や、心の聖さや、義のために責められることの副産物であるといわれている。
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ところで、これらの言を逆説として扱うのは、誤りである。人生そのものが逆説なのであり、イエスの言葉は、この事実をみとめたものにすぎないという方が真相により近いのである。
〔T・M・テイラー〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
216頁
「柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。 」(マタイ5・5)
柔和に生きる者は幸いである、とイエスさまは山上の説教でお話しされました。幸い、幸福な生き方は、柔和に生きるところにある、と。柔和に生きる者こそ、この地を受け継ぐのだ、と。しかしこの世界はむしろその逆を語っているように思います。柔和に生きていては、人に先を越され、競争に負けてしまい、この地を受け継ぐことなどできない、と。
まさに逆説だと思いますが、そこにこそ真の幸福な生き方は存在すると聖書は語ります。
幸福を得ようとしてもそれは得られないのですが、柔和さを得ようとするとき、その副産物として幸福が与えられるのです。