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祈りの光

祈りの光
2017年6月23日(金)

念禱・口禱いずれの場合でも、神は祈りに先だってわれわれが何を必要とするかを知っておられるのに、なぜ祈りが必要か、と。その理由は、祈る意思がわれわれの心の曇りを取り除き、心を清め、われわれに霊的に注ぎ込まれる神のたまものをより多く受けうるようにするからであるのにほかならない。実際、神がわれわれの祈りを聞き入れられるのは、われわれがうるさく祈り求めるからではない。神は、われわれに対してその光を、不可見ではあるが知解しうる霊的な光を与えようと、常に待ち構えておられるのである。しかしわれわれの方は、他のものに心を傾け、現世的な事物を求めて盲目にされているゆえに、必ずしも常にその光を受け入れうる状態にはない。したがって、祈りは心を神へ向けることである。
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心が神へ向けられると、今まで混望していた現世的なものが排除され、心の目が浄化される。こうして、純粋は心の目は、消滅や変化なしに輝き続ける純粋な神的光をながめうるようになる。さらに、光をながめうるだけでなく、光の中にとどまりうるようになる。ただ単に、煩わしさを感じないでとどまるだけでなく、名状しがたい喜びをもってとどまるようになる。そしてこの喜びこそ、真に幸福な生活の完成である。

〔アウグスティヌス〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
191頁

「イエスはまた彼らに語って言われた。『わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。』」(ヨハネ8・12)
「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。」(ローマ8・26,27)

神さまは私たちの祈りを聞き入れてくださいます。どのような祈りであっても聞き入れてくださいます。ただ自分の願望のままに答えられるかといえば、そうではありません。健康な人生のために不適切なものを子どもが求めても、ほんとうにその子どもを愛している親ならば与えることをしないでしょう。神さまは、分別をわきまえないただのエネルギーではなく、義と愛であり人格をお持ちのお方、私たちが「アバ、父よ」と呼ぶことのできる確かなお方です。だからこそ安心して何でも祈ることができるのです。
神さまは私たちが何を必要としているかをご存知です。私たちさえ知りえない私たちに必要なことをご存知です。ですから神さまに祈ることは、耳の遠い神さまに何とかして自分の願いを届けるためではなく、私たち自身に霊的な光をいただくためです。
神さまが祈る私たちに霊的な光を与えることができるのは、神さまご自身が光だからです。その光の中におらせていただくならば、暗闇であった私自身が光に包まれ、「名状しがたい喜び」の中におらせていただくのです。


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