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君よりうけし生命

君よりうけし生命
2017年6月20日(火)

此の讃美歌(「はじめに神愛したもう」前ページ参照)は1882年6月6日の夕、著者がインネラン(スコットランド)の牧師館にて作り出したのである。・・・人にも知らせざる苦しき出来事のありし為、煩悶悲哀、殆んど耐え難く感じた。而して苦痛の結果として読み出でたのが此の有名な一首である。
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然るに彼は盲人であった。・・・人をして彼が盲目なることを気の毒がらしめざるように綿密に注意した。彼は不自由なる身体の中に常に楽天的の精神を維持して居った。
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其の生活は一大悲劇である。然かし凱歌の声高らかな楽天的悲劇である。霊魂上の勝利此の上の立派はない。マセソンの伝記を読む間に感涙禁ずることの出来ぬのは、其の姉妹等が盲目なる兄弟に親切を尽したことである。

〔植村正久〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
188頁

「このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」(第2コリント12・8,9)

主にある者の身の上におこる悲劇は楽天的悲劇です。
それは命が神さまから与えられていることを知っているからです。与えてくださったお方が確かなお方なので、どのような悲劇の中にあっても、そこに神さまの愛があります。


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