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愛は痛みだ

愛は痛みだ
2017年6月14日(水)

愛することは、だれかに出会うことだ
そのためには、喜んでわが城をあとにして
その人に向かって、その人のために歩かねばならん。

〔ミシェル・クオスト〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
182頁

「それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。』」(マルコ8・34)

だれかを愛していると思っていても、実際は自分を愛しているにすぎないことがしばしばあるとクオストは同じ詩の中で詠んでいます。
自分を愛することと隣人を愛することとが二律背反することであると考えると、どちらか一方をなり立たせようとすると、もう一方がなり立たなくなります。しかし聖書の語るところは、自分を愛するように隣人を愛せよ、ということですから、結局、自分の十字架を負ってイエスさまについて行くことは、自分をほんとうに愛することである、といえるでしょう。
そうすると、喜んでわが城をあとにして、その人に向かって、その人のために歩くということは、自分をほんとうに愛する道である、といえるのかもしれません。


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