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愛のための自制

愛のための自制
2017年6月8日(木)

文明が招く不可避の結果のひとつは、人工的につくられた需要の増加ということです。そのような需要に答えようと熱心な人々が増えることです。わたしたちはそれなしでも結構生きていかれる無数のものが自分に必要なものだと思いこんでおり、そのような浪費を促すたくさんの人があります―人の心をそそるような口実をつくっては不用のものを私たちの手の中に押しこんできます。
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愛のわざへの献げものの要求は、われわれの自己否定と節制を要求しているのだということです。節約することを学ばなかった者は、与えるために何かを持とうなどとは思わないのです。そして、節約することを学ぶためには、それを所有すれば疑いもなく楽しいが、別に持つ必要もないもののために金を使いたくなる衝動を抑えるほかはないのです。新しい世代は、いいにせよ悪いにせよ、このような自制の心が全く欠けていることに馴れてしまっています。

〔ジェームス・デニー〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
176頁

「空の鳥を見なさい。」(マタイ6・26)
「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。」(ルカ10・42)
「主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを・・・」(使徒20・35)

景気の回復を、需要の拡大、消費の拡大、経済の成長によってもたらさなければならないということそのものに、現代という時代の病があるような気がします。
せめて私の小さな人生においては、いらないものは買わないということで行きたいとおもいます。そして節約を、隣人への愛に結び付けていければよいのではないかと思います、がなかなか難しいものです。


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