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恐れないで

教会では週日にいくつかの小さな聖書の学びの時、祈りの時が行われています。このところ、聖書を読む会の発行しているテキストを用いて学びの時を持っています。先日の学びの中でマルコの福音書5章の中の言葉に深く思いを止めることとなりました。

会堂管理者ヤイロは、自分の娘が死にかけているのでイエスさまに助けていただこうとお願いに上がりました。快く引き受けてくださったイエスさまは娘のいるところに急いでくださいました。その途中、一行は病の癒しを求めてやってきたひとりの女性と出会います。イエスさまは丁寧にその女性とお出会いくださいました。ヤイロはさぞやきもきしていたことでしょう。そこに自宅から知らせがやってきました。「あなたのお嬢さんはなくなられました・・・」。万事休す。

その時イエスさまはこのヤイロに語られました。「恐れないで、ただ信じていなさい」。

この言葉に深く思いを止めることとなりました。

果してヤイロは恐れていたのでしょうか。ここでは恐れないでという言葉よりも、大丈夫だ、安心しなさい、などのほうがふさわしいように思います。しかしイエスさまは「恐れないで・・・」と語られたのです。それはヤイロにとって最も必要な言葉がこの言葉であったということだでしょう。

万事休す。絶望の時、私たちにも必要なことは、この「恐れないで、ただ信じていなさい」という言葉なのだと思います。

ナルニヤ国物語の作者であるC・S・ルイスは最愛の妻の死を経験しました。その悲しみの中で一冊の書物を書いています。その書の冒頭に以下の言葉があります。

だれひとり、悲しみがこんなにも怖れに似たものだとは語ってくれなかった。わたしは怖れているわけではない。だが、その感じは怖れににている。あの同じ肺腑のおののき、あの同じやすらぎのなさ、あのあくび。わたしはそれをかみころしつづける。

C・S・ルイス、『悲しみを見つめて』、5頁

神さまを信じるということは、この恐れから自由にしていただくということです。またこの恐れの中にある私とともにいてくださる全能者、絶対他者が語りかけてくださる言葉に耳を傾け続けるということです。


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