テムズ河の上のキリスト
2017年4月30日(日)あなたの悲しみが、あまりにたえがたいとき、
泣き叫びなさい。そのとき、あなたの悲しみゆえに、
天国と、このチェアリング・クロスのあいだに、
ヤコブのはしごが輝くのです。夜のしじまに、わが魂よ、わが娘よ、
泣き叫びなさい。天の裳裾にすがりついて。
そのとき、みよ、キリストは、ゲネサレの湖ではなく、
テムズ河の上を歩いてきたもうのです。〔フランシス・トムソン〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
132頁
カトリック詩人フランシス・トムソンの詩より。
悲しみを悲しみとしてごまかさないで受け止めるとき、悲しみが自分と天国とのかけ橋となるのです。
泣き叫ぶ、ということは、自分自身が崩れ去ってしまうということでしょうか。すがりついてきた自分という存在が崩れ去ってしまい、たよるものがなにもないとなったとき、しかしそこにキリストがおられるのです。