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キリストの昇天

キリストの昇天
2017年4月26日(水)

どうあっても神に向かって出発する人のことを、昇ると考える方が、降るとか、横切ると考えるよりもはるかに自然である。それはただ、イエスが人間の場を離れて、超人的な、神とともにある生にはいられたということの、自然で、人間的で、直感的な言い方である。
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何が文字どおりに起ったかについて語ることは困難であり、不可能であるとさえ言わねばならないであろう。しかし物語の背後にある霊的真理に関しては疑問の余地がないのである。

〔ウィリアム・バークレー〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
128頁

キリストの昇天。私たちが死ぬことを召天と書き表しますが、キリストにおいては昇天と書き表します。それは「天に昇る」という意味であり、私たちの場合は「天に召される」「天に呼ばれる」ということだからです。
天とはいったいなんであるのか。天の御国はあなた方のただ中にある、とイエスさまは言われました。それは神さまのご支配ということでしょう。そうすると、キリストの昇天も、神さまの完全なご支配の中に行かれたということなのかもしれません。
そのイエスさまが私たちのためにとりなしていてくださいます。イエスさまを見上げるごとに、神さまの完全なご支配の中におられるお方、神さまご自身である方に目を向けています。そのお方が、世の終わりまであなたがたとともにいます、と約束してくださっています。


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