復活の確かさ
2017年4月19日(水)わたしたちは、希望喪失や死の不安を直接対象として取り扱うことはできないのであり、ただそれらの根拠において、取り扱うことができるのです。希望喪失や死の不安は、神との関係の破れから出て来ます。もし神との関係が正常化すれば、もしイエス・キリストの十字架を通して神との和解がなり立ち、神との平和を得るならば、それらは取り除かれるのです。
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もし神との間に平和をもっていらなら、不安も、それとともに生の場所を取りあう争いも消え去ることでしょう。もしわたしたちがイエス・キリストの和解のみわざによってふたたび生まれるのでないなら、死人のなかからよみがえりたもうたイエスの復活による生ける希望にふたたび生まれることはできないのです。〔エーミル・ブルンナー〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
121頁
「根拠」において取り扱うことができるということ。あるいは根拠においてしか取り扱うことができないということ。
この根拠とは神さまとの関係ということです。希望を見失うことや死の不安を直接対象として取り扱うことはできない、のです。直接対象として取り扱うこととは、心理的な操作や環境の変更が思い浮かびますが、それらとて直接対象として取り扱っているとは言えないのでしょう。
希望喪失や死の不安を直接的に取り扱うことができないにもかかわらず、それらを取り除くことができるのです。それはそれらの根拠である神さまとの関係を正常化すればいいのです。
しかし私たち人間にはその力はありませんでした。神さまが一方的に愛してくださったこと。その証拠である十字架と復活によって私たちに手を差し伸べて下さったこと。ただそのことを信じて受け取ること。それによって神さまのとの関係が正常化されたことの恵みを受け取ることができるのです。
(この著書では「エーミル」となっていますので文中ではそのままにしていますが、カテゴリでは一般的な表記「エミール」にしています)