主の忍耐
2017年4月15日(土)ご受難と十字架において、残忍な死と御血の流出の時にいたるまで、主は、どれほどひどい罵倒やそしりを忍耐強く聞き、どれほどひどい侮辱を耐えしのばれたことだろうか。
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みずからさばきたもうおかたが、今はさばかれておられる。〔キプリアヌス〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
117頁
キプリアヌスは古代教父のひとり。3世紀カルタゴの主教です。やはり古代教父の言葉は胸にしみわたります。
今年2017年のイースターは明日4月16日ですから、今週は受難週となりました。昨日は受難日でした。プロテスタントの教会の多くは教会歴をあまり重視しませんので、受難日をそれにふさわしく過ごす過ごし方についてあまり学ばれていないように思います。少しでも学ぶことができれば素晴らしいのではないかと思うこともあります。
ということで昨日はあるカトリック教会で行われた「十字架の道行」とそれに続いての「受難日のミサ」に夫婦で参加させていただいてきました。礼拝堂に掲げられた14の「留」にちなんだ絵の前を、言葉を唱えながら先唱者が回ります。会衆はその方向を向きながら一同で定められた言葉を唱えます。イエスさまの受難の道を共にたどりながら信仰の時を持ちました。続いての受難日のミサは、ミサですから「ことばの典礼」と「感謝の典礼」(聖餐の時)が持たれました。ことばの典礼では受難の聖書箇所の朗読と短いお話、十字架礼拝の時がありました。感謝の典礼の時には列に並んで順にパンをいただくのですが、私たちはカトリックの洗礼を受けていないのでいただくことはできません。それで同じように並んで神父さんの前に進みましたが、祝福のお祈りをしていただきました。
また礼拝の中ではいくつもの祈りがささげられました。兄弟姉妹のために、世界のために、為政者のために、神を信じない人びと、神を否定する人びとのためにも祈られました。賛美は「典礼聖歌」から数曲の賛美がささげられました。いずれも先唱者の歌に続いて会衆の歌があります。交読のような形ですね。先唱者の歌声は大変すばらしいソプラノでした。
礼拝の前にはひとりの姉妹が、礼拝の後には神父さんがお声をかけてくださいました。明日明後日と行われるミサへのお招きでした。プロテスタントなのでそちらの礼拝に出席しなければならないのでと丁重にお断りしましたが、機会があればぜひまた参加したいと思いました。
主の受難を深く覚える受難日を過ごすことができました。感謝です。