キリストのよそおい
2017年4月14日(金)キリストの〔われらに〕与える第一のよそおいは義である。
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かつてわたしは「神は義である」との言葉を読んで、おそれおののいた。義に対して義をもって答えるのが義であると思ったからである。神が義であるなどというより、あわれみであってくださると聞き得たらどんなによいかと思った。だが福音書の語る義は、事実はあわれみのことにほかならなかった。しかも書き表わし得ぬほどのあわれみ、すなわち、われらのあわれみを取り去り、ご自身の義をもってよそおってくださるあわれみなのである。〔ルター〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
116頁
神の義と神の愛は別のものではなくひとつのものです。神の義と神の愛がひとつになったところが十字架なのです。
これを別々のものとして考えるところに偶像礼拝がおこります。
主にある者はいっさいの罪が赦されました。神さまの義と愛に生かされています。この世的に見てどんなに貧しく足りなくても、胸を張って生きていくことができるのです。