人間の悲惨・原罪
2017年4月8日(土)われわれは真理と幸福を欲しないではいられない。しかもわれわれは確かさも幸福をも得ることができない。この欲求がわれわれに残されているのは、われわれを罰するためでもあり、またわれわれがどこから落ちたかをわれわれに気づかせるためでもある。
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原罪は、人間の眼から見れば、愚かなものである。・・・この愚かさは、人間のあらゆる知恵よりもいっそう賢明である。・・・なぜなら、われわれはこれなしに、人間が何であるかを、示しうるであろうか。人間のすべての状態は、認めがたいこの一点にかかっている。〔パルカル〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
110頁
キリスト教会は、人間には原罪がある、と語ります。この原罪が人間の悲惨の源であり、同時に、人間が人間であることを物語っているのです。
ですから人間として健やかに生きるためには、原罪とどのように向き合って生きるかにかかっています。
キリストの十字架によって、自らの原罪に向き合って生きることが、健やかな人生を築きます。