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小魚も大魚も

小魚も大魚も
2017年3月28日(火)

小生平素の目的は、或る丈(た)け法を三章に約し、我が校をして深山大沢(しんざんだいたく)の如くになし、小魚も成長せしめ、大魚も自在に発育せしめ、小魚たるも大魚たるもその分に応じ、その身を世に犠牲となし、此の美しき日本を早晩改良して、主の御国すなわち黄金時代に至らしめんことは、小生の日夜熱祈して止まざる所なり。
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非常に勉強も致され、又傍ら特別の余暇を設けて充分の心術の修業を為し、百折不撓の精神を養い、大胆不敵の元気を蓄え、他日中原に雄飛するの準備を為されんよう、くれぐれも御勤め下されたく候。

〔新島襄〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
96頁

あるべき姿を目標に心身の成長、発育をなさせることが学校の意義ですが、あるべき姿は一つではありません。小魚にとって、大魚にとって、それぞれにふさわしい目標があるべきです。
心の成長は余暇がもたらし、また余暇の過ごし方がもたらすものです。


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