落第生を慰むるの辞
2017年3月26日(日)学校を通らずしては有為の人と成る能わずと想い、入学試験に落第せしが故に人生に於いて落第せしが如くに思う、誤謬之より大なるはない。
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神は最も多く平凡の人を愛し給う。然らざれば彼はかくも多く平凡の人を造り給わざりしならん、と。誠に平凡の人たるは決して小なる事ではない。是は億兆と運命を共にすることであって、やがて又神の特殊の恩恵を味うことである。
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世に迷信は多しと雖も、学問過信の迷信の如くに憐むべき者は無いと思う。〔内村鑑三〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
94頁
大学の賞味期限は3年である、と誰かが言っていました。それ以降は大学の名前はあまり意味がなくその時点での実質的な働きがその人を物語るのでしょう。
いまはだれもかれも大学に行く時代です。それはすばらしいことだと思います。人生の何たるかを学ぶためにじっくりと時間をかけることは大切なことです。しかし単に経歴を作るためだけであればあまり意味がありません。学歴にしがみついて努力を怠るということも起こり得るでしょう。
学歴にしがみつく人を「高等教育を受けしが故に独り立つことの出来ない人となった」と内村は語ります。自分が自分として立つことを妨げてしまう学歴というのは一体何なのでしょう。
罪人の一人にすぎない自分であること、しかし神さまに愛されている一人であることのみでこの世界に立つことが出来ればなんと幸いなことでしょう。