ネパールの一人の友
2017年3月25日(土)てっきり「一人のクリスチャンを作ったか」とたずねられるかと思ったら、そうではなかった。「一人の友をえたか」とたずねられました。「友とは何ですか」と聞きますと、「友とは心の友である。あなたがそのネパール人、心友の悩みを聞いて上げるだけでなく、ネパール人、心友に悩みをうちあけてあなたが慰めてもらえるような、そういう友をえたか」。わたしには悩みを聞いてあげるような友はあったが、わたしの悩みを慰めてもらうようなネパールの心友は残念ながら一人もありませんでした。
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「わたしは、このミッションの中で、医療することよりも、同労者が教育されあうことが大切である、それが医療伝道の根本だと思う」と二年間の報告を結んだ。「だが、わたしはそれをどう行なえばいいか分からない。教えてほしい」とのわたしの問いに、彼はしばらく考えこんでいたが、やおら、「福音の正しい理解、そして人間理解の深さ」と言い放った。〔岩村昇〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
93頁
一方通行の愛は、すでに愛ではありません。
イエスさまは弟子たちを遣わすときに、わずかのものしか持たせませんでした。わずかのものしか持たなかったので、彼らは遣わされた先で施しを受けなければなりませんでした。彼らの活動は、おのずと一方通行では成り立たないことでした。
一方通行の愛は、結局のところ、福音の正しい理解、人間理解の深さが足りないのです。