宗教感情について
2017年3月17日(金)ほんとうの聖徒というものは、活きている泉から流れる川のようなものである。夕立のとき、このような川は水量をまし、日でりのときは水量が減りはするが、たえず流れているのである。または、そのような流れのほとりに植えられた木のようなものである。この木は、もっともひどり日でりのときにも、根もとに水の貯えがあり、葉はいつも緑である。
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ほんとうの恵みというものは、キリスト者の横の交りをよろこぶものではあるが、退いて、秘(ひそ)やかに神と語ることを特によろこぶ性質を持つ。〔ジョナサン・エドワーズ〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
85頁
信仰は感情ではなく意志です。意思ではなく遺志や医師、縊死でもない。意志です。その意志が確かなものとして常に活き活きと胸の内にある人は、「退いて、ひそやかに神と語ることを特に喜ぶ性質」を持っています。