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信仰の原動力

信仰の原動力
2017年3月14日(火)

私共を信者にした真の原因は、境遇にあるのでもなく、自分自身にあるものでもありません。全く神にあるのです。キリストにおいて永遠の昔より私共を愛したまいつつあった神の愛、これが私共の信者になった真の原動力です。
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私は平素思っています、自分には何にも誇るべきものを持たない、否、自ら顧みて、自分の能力のないこと、ことに魂の醜いことを思っていやになります。しかし私のごときものでも、仰いでキリストにおける神の聖き愛が、世の初めから自分に注がれてあったと思いますと、ほんとうに感謝に堪えません。もし私に誇るところありとするならば、自分がキリストにおいて無始なる神の愛を受けてキリスト者としてもらったということです。

〔高倉徳太郎〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
82頁

これは「謙遜」ではありません。謙遜というのは、自分を低くすることですが、それは誰かによって、あるいは何かによって高められるということを前提としています。
信仰は謙遜ではなくへりくだりです。へりくだりは感謝に向かっています。


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