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神と自己とに帰る道

神と自己とに帰る道
2017年3月10日(金)

信仰は自己以外に向かう精神の働きなり、悔改めは自己に反(かえ)る働きなり。信仰はもっぱら現在と将来との関し、悔改めはこの心を推(お)し及ぼして過去の自己を省察点検す。故に多少の信仰なくば悔改めの心も起らざる如く、悔改めを伴わざる信仰はまじめなる信仰にあらず。
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悔改めは弛みたる自己を緊張せしむる力なり、自己既に緊張す、他人の心に共鳴を感ぜしめざるを得ず。その衷(うち)に道徳上の戦いをたたかいつつある人最も多く他人の心を引く。

〔柏井園〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
78頁

悔い改めて福音を信じること。福音を信じることは悔い改めを伴い、悔い改めは福音を信じることを伴うのです。
常に「過去の自己を省察点検」することと、神さまに帰ることとは一つです。
罪赦されたといいつつ、何ら自己を顧みない人がいます。なんと醜い生き方かと思います。また「過去の自己を省察点検」するだけの人もいます。なんとあわれな生き方かと思います。聖書の信仰に生きる道は、この両者が一つとなるところに築かれます。


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