正義と愛
2017年3月5日(日)

正義は常に愛のための前提である。従って愛は決して正義を飛びこえてはならぬ。けだし愛は常に正義の要求する以上のものを与え得るのであって、それ以下を与えることは許されない。
・・・
愛の本当の賜物は、正義がすでに充たされているそのところにはじまる。けだし愛は正義を超えるからである。

〔エーミル・ブルンナー〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
73頁

正義があやふやにされたり、否定されたりするところには愛はありません。正義がないがしろにされて為そうとされる愛は「非現実的な感傷性」であるといいます。

聖職的な要素を含んでいる職業であってもしっかりと賃金が支払われなければならないということです。それがないがしろにされて愛ゆえに奉仕が強要されるならばそこで主張されている愛は非現実的な感傷性であるということです。その愛はもはや聖書の語る愛ではありません。


投稿日

カテゴリー:

,

投稿者:

タグ: