思い煩わない
2017年2月25日(土)思い煩うは一の悪夢なり。
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畢竟(ひっきょう)煩思(おもいわずらい)は悪魔が人の道徳性を弱らしむるよりきたる。弱きところに迷いあり、くらきところに恐れあり、彼はこれがために遑々として安んずるところを知らず。されども静かに観ずれば、人間行くところおのずから道あり。この道はただ神を知ることによりて、ますます歩むにやすし。語を換えれば、すべての重荷を神に托することによりて、人生の行路は踏みやすきのみ。〔留岡幸助〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
61頁
「遑々」とは「心がおち着かず、うろうろするさま。いそがしいさま。」とあります。
弱いところに迷いが生じ、暗い所の恐れがうまれます。しかし弱さや暗闇のない人生はありません。思い煩いから解放され平安に生きる道は、弱さや暗さを前にしても自分で何とかするのではなく、すべてをご存知の神さまにおゆだねするところに開かれます。そのためには、静かに観る、ということが大切です。信仰とは、この「静かに観る」ということです。またそのための鍛錬です。