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「否」と「然り」

「否」と「然り」
2017年2月16日(木)

イエス・キリストの死において、神は、この世の神に冒す否を永遠にご自分で引き受けておしまいになったのである。そしてイエス・キリストの死人の中からの甦りによって、この否に対して、世に対するご自身の然りを、あらゆる時代にわたって対置せしめられた。これがキリストの奥義である。この奥義が自己を貫き、われわれに対する神の然りが、神に対するわれわれの否に勝利する時、この世の一部分がイエス・キリストの教会になるのである。
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われわれの悪しき、破滅的な否を、救いに満ちた力ある然りに変えておしまいになったのである。
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神のみ心の中にわれわれのための場所が設けられ、神は父が息子や娘にするごとくわれわれに耳を傾けてくださるようになった。この神のみ心のうちに座を占める者にとって、将来もまた彼のものである。自分の過去の悪しき秘密を恐れる必要もなく、将来の暗い時を思って不安がる必要もない。神の恵みの然りは、どんなに暗い秘密、暗い時に対しても固く立つ。キリストの奥義はわれわれの生活のどんなに暗い片隅にも、この世のどんなに悲しいところにも約束に満ちた光を投げかけるのである。

〔エーベルハルト・ユンゲル〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
52頁

キリストの十字架と復活によって、私たちに対置してくださる神さま。圧倒的な愛の力によって「然り」と語り続けてくださる神さま。否を然りに変えてくださる神さま。私たちは明日をこのお方にゆだねるので、不安や恐れから自由にされています。


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