不幸の転用
2017年2月8日(水)パウロの生涯はその患難(なやみ)をはなれてはわかりません。彼はその主に似て「悲哀の人」でありました。
・・・
パウロは神の恩恵によりて不幸に勝ちました。勝ちしにとどまらず、これを自己にとり人類にとり大幸福をもたらすの機会となしました。
・・・
「意とせず」ではありません、「楽しみとせり」であります。患難に堪えたのではありません、勝ち得て余りあったのであります。〔内村鑑三〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
44頁
誰にも言えない苦しみや悲しみはだれにでもあります。苦しみや悲しみのない人生はありません。幸せか幸せでないかの分かれ道は、苦しみや悲しみがあるかないかではなく、誰にでもある苦しみや悲しみをどう受け止めどう生きるのかによるのです。
苦しみや悲しみに堪える忍耐力をつけることとともに、それをむしろ喜びとすること。
それは神さまのなせる業です。神さまとともに歩む人こそまことの幸せの道を歩みます。