祈りと歩み
2017年1月14日(土)私たちがこのようにして、神の前に出ることを許されていることを感謝し、今なお私たちを取り巻く暗い影のただ中でも、御顔の光が私たちを輝かし続けるように、また、私たちを、今なお苦しめている霧と覆いを突き破り、取り除くことができるように、私たちがうむことなく望みうるようにと、これらすべてのことを私たちの願いとして申し上げること―それこそ思い煩う代りに、それから解放されて立ち上がる、より良き業なのである。
では、やっぱり祈るだけなのか。然り、ただ祈るのみである! あたなは既に、それをやってみたであろうか。単に習慣としてではなく、主が近いゆえに、あなたがそれを、主の弟子・姉妹として、神の子として祈り願い、すべてを神の前にもたらすことをあえてすることを許され、あえてすべきであるゆえに、試みたであろうか。それを試み、なしたもうものは、このような祈りが、ただ祈ることが、また、静かな、生き生きとした、絶えざる労働を含んでいることを知るであろう。
〔カール・バルト〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
16頁
祈っているだけではいけないという声が内と外とからやってきます。しかし確信をもって祈りに留まる者でありたいと思います。本当に祈ることをしているか、が大切な問いなのです。本当に祈るということができていないので、やたら行動に心が向かうのです。祈りのない行動は自分も人も生かすことになりません。
祈りに徹したいと思います。