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裁かないでそこにいる

裁かないでそこにいる
2016年12月27日(火)

キリストによって私たちが神と和解させていただいたことを受け入れる度合に従って、私たちは他の人々にとっての和解の使者となることが出来るでしょう。和解の働きにとって絶対に必要なことは、裁かない態度で人々と関わり続けることです。裁いたり、非難したり、評価したり、等級をつけたり、レッテルを張ったり、このようなことのために私たちはこの世に遣わされたのではありません。
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人々にレッテルを張ることが当たり前になってしまっている社会では、裁かずにそこにいるということは、ほとんど不可能のように思われます。けれども、裁かないということは、深い霊的な生活の最もすばらしい果実です。

ヘンリ J.M.ナウエン、『今日のパン、明日の糧―Bread for the Journey』
監修者・嶋本操、訳者・河田正雄、
聖公会出版、2001年11月22日第1刷発行、2015年1月17日改訂版第4刷発行、
423頁。

人の所業が見過ごせず裁いたり指導せずにはいられないことがあります。非難したり、評価したり、等級をつけたり、レッテルを張ったり・・・。そのようなことから自由になることが和解の使者となることであるとナウエンは語ります。和解の使者は、裁かずに共にいる者です。
人を裁くことによって、自分が賢いということを主張しようとしているのかもしれません。自分が賢いということを主張せずにはいられないのは、自分の価値に不安を抱いているからでしょう。神さまは私の存在を高価で尊いと言われました。私のために十字架でいのちを捨て、復活して死を滅ぼしてくださいました。神さまが私のことを大切に考えていて下さるのですから、この世で自分を主張しなくてもよいのです。
神さまの愛に満たされているならば、人を裁くことから自由にしていただけます。


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