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この世界ほど広い心

この世界ほど広い心
2016年11月13日(日)

聖徒の交わりの一部であることに気づいていると、私たちの心はこの世界と同じくらいに広がっていきます。
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イエスの霊が私たちの心に生きる時、イエスの霊によって生きたすべての人々もまた、私たちの心に生きるのです。
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聖徒の交わりは、人々を結ぶただのネットワークではありません。それは第一に、そして何よりもまず、私たちの心が形作っているコミュニティーです。

ヘンリ J.M.ナウエン、『今日のパン、明日の糧―Bread for the Journey』
監修者・嶋本操、訳者・河田正雄、
聖公会出版、2001年11月22日第1刷発行、2015年1月17日改訂版第4刷発行、
377頁。

私たちは礼拝において使徒信条を告白しますが、その中で「聖徒の交わりを信ず」と告白します。
キリスト者の集会などでお出会いした方々は、初対面であるにもかかわらず旧知の間柄であるかのように思えることがあります。キリストにおいて一つであることを感じる時です。しかしどんなに親しみを覚えても、自分とは違う人間であり、さまざまな違いをお互いに持っています。その違いを十分に理解しつつ、キリストにおいて一つであるということを喜び感謝します。
世界を見渡すとさまざまなキリスト者がいます。私たちのようなプロテスタント教会はどこか主観的な聖書の読み方があり信仰理解がありますので、互いの違いを指摘し合いことごとく分裂してきました。プロテスタントを生み出したローマ・カトリック教会との違いを批判的に言います。東方教会に至っては全く別の宗教のように思う人も多いでしょう。しかしそのような違いはあっても、ニケア・コンスタンチノープル信条において一つです。もちろん聖霊は父と子とから出てか父からでてか、いずれかでまたまた論争が起こりますが、それでもイエスさまにおいて一つであるはずです。
私たちはさまざまな違いを認めつつもひとつであることを確かにしなければなりません。それが「聖徒の交わりを信ず」と告白する意味です。


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