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一つの信仰 二つの側面

一つの信仰 二つの側面
2016年10月19日(水)

私たちと共にいる神となるためにみ子を遣わされた神はまた、私たちと共にいる神となるためにみ子と聖霊を遣わされました。この神を信じる私たちの信仰が本物になるためには、教会を信じる信仰が不可欠です。教会は神が私たちに対する愛を示すために好んで選ばれたとは思えないような人々の集まりです。神は二千年ほど前に、中東の世間の目から忘れられたような小さな町に住んでいた少女の内に人となることを望まれた、ということは、ありそうもないことのように思えます。それと同じように、言い争いや偏見、権威をめぐるいさかいや勢力争いで絶えず引き裂かれている人々のコミュニティーの内に、神は救いの業を続けることを望まれた、ということもありそうには思えないことです。

けれども、イエスを信じ、教会を信じるのは、一つの信仰の二つの側面です。それは思いもよらないことですが、神のなさり方そのものなのです。

ヘンリ J.M.ナウエン、『今日のパン、明日の糧―Bread for the Journey』
監修者・嶋本操、訳者・河田正雄、
聖公会出版、2001年11月22日第1刷発行、2015年1月17日改訂版第4刷発行、
349頁。

教会は信じるものです。イエスさまを信じるという一つの側面と、教会を信じるというもう一つの側面。この二つは一つの信仰です。
ここでいう「教会」とは、「公同の教会」のことですが、この地の一地方に存在している地方教会そのものでもあります。私たちのつながっている教会は、公同の教会につながっていなければなりません。私たちの教会は、公同の教会でなければなりません。そうでなければイエスさまのおからだである教会ではありません。

この地にある教会は、さまざまな問題をもっています。さまざまな考え方の人が集っています。人間的に見れば到底、そんなものが神さまのおからだであるとは考えられません。しかしイエスさまは教会はわたしのからだです、と言われました。私たちはただそれを信じることが大切なのです。


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