魂の同伴者
2016年10月5日(水)エマオの弟子たちの家でパンを割かれた時に、二人の弟子たちはそれがイエスだと分かりました。その時、イエスの「姿は見えなく」(ルカ25:31)なりました。イエスだと分かることと、イエスの姿が見えなくなるというこの二つのことは、実は同じ一つの出来事です。
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イエスはもはや、彼らが話しかけたり、助言を得たりする見知らぬ人や客や友人として、テーブルの向こうに座っているのではありません。イエスはこの弟子たちと一つになられたのです。ヘンリ J.M.ナウエン、『今日のパン、明日の糧―Bread for the Journey』
監修者・嶋本操、訳者・河田正雄、
聖公会出版、2001年11月22日第1刷発行、2015年1月17日改訂版第4刷発行、
335頁。
見えなくなられたことは、一つになられたということ。
見えなくなられたということが、見えた時よりも、より一層共におられるということが確かにされたこと。
主は共にいてくださいます。