洗礼を通してコミュニティーの一員となる
2016年9月28日(水)洗礼は霊的な自由への道であるだけではありません。コミュニティーへの道でもあります。人に洗礼を授けることは、子どもであろうと大人であろうと、その人を信仰のコミュニティーへ迎え入れることです。洗礼によって上より新しく生まれ、神の息子、娘としていきるように招かれている人は、私たちの霊的家族の一員であり、キリストの生ける体に連なるものです。人々に洗礼を授ける時、私たちはそれらの人々を神の家族に迎え入れ、キリストに倣う生活の中で、あますところなく成熟してゆくようにと、導き、支え、養います。
ヘンリ J.M.ナウエン、『今日のパン、明日の糧―Bread for the Journey』
監修者・嶋本操、訳者・河田正雄、
聖公会出版、2001年11月22日第1刷発行、2015年1月17日改訂版第4刷発行、
326頁。
主観的、個人主義的な信仰は、キリスト教信仰ではありません。洗礼という客観的な歴史的事実によって、信仰の仲間、さらには神さまが創造された被造物の仲間になっていくのです。洗礼を受ける前はことごとく敵対していたのですが、洗礼を受けることによって、あらためて共に生きるものとなるのです。