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両親の悲嘆

両親の悲嘆
2016年8月24日(水)

ほんのわずかの間でも、神からの贈り物として、両親の生を深め豊かにするために子どもが与えられたのだったということを、心から信じるためには、両親の側の並外れた信仰を要します。

両親がこうした信仰による飛躍をなす時、子どもの短い生涯は、両親の望みをはるかに超えた豊かな実を結ぶことが出来るようになるでしょう。

ヘンリ J.M.ナウエン、『今日のパン、明日の糧―Bread for the Journey』
監修者・嶋本操、訳者・河田正雄、
聖公会出版、2001年11月22日第1刷発行、2015年1月17日改訂版第4刷発行、
288頁。

苦しみはそれを経験した者でないと本当には分からないといいます。この世界には同じような経験はあるかもしれませんが、人や時、状況に同じものはありませんので、全く同じ経験は存在しません。ですから誰かの苦しみが完全にわかるということはありませんし、自分の苦しみを誰かに完全に分かってもらうということもないのです。

完全に分かるということはないということを前提として、そのうえでお互いの苦しみを理解するということが大切でしょう。苦しみのほんの一端を知る、あるいは想像するということが人間に許された共感の真実であることをわきまえて、そのうえで築かれていく人間関係こそ健康な人間関係であると思います。

自分の子どもの死を経験した両親の苦しみを思います。
子どもの人生も量ではなく質なのです。そしてその質は必ずしも人間の側だけで量ることのできるものではありません。神さまだけがご存知です。

神さまの御手の中にすべてのことはあると信じること。
その神さまは愛のお方であり、全知全能のお方であることを信じること。
その神さまは私を愛し、今も生きて働いていてくださることを信じること。
その具体的な現われが、イエス・キリストであること。

その信仰の中に苦しみを乗り越える力があります。


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