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私の隣人は誰?

私の隣人は誰?
2016年7月20日(水)

隣人とは誰のことでしょう。
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イエスが明らかにしておられる隣人とは、身ぐるみはがれ、殴られ、半死半生になって道ばたで横になっている気の毒な男の人のことではありません。道をわたって、「傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れていって介抱し」たサマリア人のことです。私の隣人とは、私のために道を渡って来てくれる人のことです。

ヘンリ J.M.ナウエン、『今日のパン、明日の糧―Bread for the Journey』
監修者・嶋本操、訳者・河田正雄、
聖公会出版、2001年11月22日第1刷発行、2015年1月17日改訂版第4刷発行、
250頁。

良きサマリア人のたとえ話を読むと、問いと答えがかみあっていないことに気づきます。かみあっていないのを無視して単純に隣人を愛することを説くことにも意味があると思いますが、それでは深い聖書のメッセージを読み逃すことになります。

隣人とは誰かという問いに、イエスさまは隣人に「なった」と思うか、と問い返されました。これは、自分の立ち位置をちっとも変えようとせず隣人とは誰かと問う私たちに対して、隣人に「なる」ということで、自分の立ち位置をかえるようにとイエスさまが迫っていてくださることでしょう。

そしてもう一つが、イエスさまご自身こそ私の隣人になってくださった方であり、このイエスさまを愛することこそ、すべてのはじまりであることが語られているのだと思います。


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