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「インマヌエル 神我らと共に」。

〔約束と成就〕

2015年12月23日(水)

インマヌエルの名を述べることが生じるなら、従って神が私たちのところへ来てくださるということが生じるなら、その時には誰も行動せず、その時には何も動かず、なぜか、どこからか、どうしてという問いも存在しない、その時には全く神ご自身がご自身に着手されます。従って、神は始められる。すなわち、何か別なものではなく、ご自身に対して、それゆえこの幼児には父が不在です。
・・・
教会はその「聖霊によってやどり、おとめマリアより生まれ」という文で、愛の出来事において神の主権を描写しており、そこでこの出来事をとりわけ他の諸出来事から際立たせています。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、679f。

神さまがともにいてくださるということ、これが奇跡なのです。
この世界を見れば神さまがともにいてくださる証拠を見つけるのは難しいかもしれません。だからこそ、これは人間業ではなく神わざなのです。
全くの神わざとして、インマヌエルの奇跡はあります。
だからこそ、どのような中にあっても私たちは神さまに向かって希望を告白することができます。

(祈り)
神さま、あなたがともにいてくださることを感謝します。


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