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「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き下ろし、身分の低い者を高く上げます」。 ルカによる福音書1章51-52節

〔待降節―主の御母〕

2015年12月18日(金)

神の言(ことば)があるところ、そこに神は人間としておられ、そこにこの神の力があります・・・神の御腕は神の言であり、神の言は神の御子です。そして御腕によって神は力を発揮される、すなわち、神は支配なさいます。
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座から引き降ろすことが生ずるとは、神が私たちに背を向けるという、全く単純なことだと私は思います。そして、神が私たちを単純になさることは、神が私たちに加える最も恐ろしいことであります。
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私たちの計画が成功し、目標が到達されるなら、最も恐ろしい地獄です。地獄を、絶えず鞭打たれ、あるいは蒸し煮にされるところとだけ想像しないようにしましょう。そこには偉大な紳士たちと感じの良い人びとだけが、ただし神のいない偉大な紳士たちと親切な人びとが一緒に集まっているでしょう。

この人たちは今や人生において望んで到達したものの中で動かずにいることが許され、永遠から永遠に動かずにいなければなりません。それは永劫の罰であり、それが地獄であります。
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主は、その身分の低さにおいて救い主を必要とし、有難いと思う、ということを理解した身分の低い人びとと関わってくださるのです。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、671f。

神さま抜きでなしたことは、どんなに素晴らしく見えても、そこには地獄があります。しかし神さまによってなされたことの中に、神さまのその憐れみへの感謝と喜びをもって生きるならば、そこに天国があります。

人間の罪の深さは、神さま抜きの信仰に生きてしまうということにあります。それはもはや信仰ではありません。

神さまの憐れみにとどまり続けたいと思います。

(祈り)
神さま、あなたの憐れみを感謝します。どうかあなたのところにとどまり続けさせてください。


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