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「力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます」。 ルカによる福音書1章49,50節

〔待降節―主の御母〕

2015年12月17日(木)

イエス・キリストが来られ、イエスが時間の中に入って来られてから、人類はもはや存続できない、と考えるべきでありましょう。だが今やまさに逆なのです。イエスが私たちの間にいてくださるがゆえに、人類は存続でき、存続を許されています。
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神が私たちに目を留めるということは、まさに愛である神性の奇跡からのみ生じます。
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あなたの憐れみは神を畏れる人びとに代々限りなくおよびます。神の憐れみは、私たちが行うような憐れみではなく、朝ごとに新しいのです。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、669ff。

神さまが、罪人である人間に目を留められたならば、人間はひとたまりもありません。もはや生きることはできないのです。それほどに人間は穢れています。そして神さまは聖なるお方なのです。

しかしイエスさまがこの地に来てくださったことはまさに奇跡です。
イエスさまのご降誕によって明らかにされたことは、神さまはあわれみ深いお方である、ということです。
裁くためにこの地に来てくださったのではなく、救うためにこの地に来てくださったのです。

(祈り)
神さま、朝ごとに新しいあなたの憐れみを感謝します。


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