,

「マリアは天使に言った。『どうして、そのようなことがありえましょう。私は男の人を知りませんのに』。天使は答えた。『聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生れる子は聖なる者、神の子と呼ばれる』」。 ルカによる福音書1章34,35節

〔待降節―主の御母〕

2015年12月12日(土)

可能性への、神の啓示の関連への問いは全く答えようのない問いです。その問いは他の側から答を得られるに過ぎません。すなわち、天使がマリアと話すのです。
・・・
この素朴な小さなおとめの生活の只中に、全く別なことが、神の不可解なことが据えられるのです。
・・・
聖書が聖霊について語る時、それは父と子の結びつきについてとして神について語ります。
父と子を一つにするこの愛、それは、私たちのためにひとりイエスがおられる、私たちのために御子が人間となられた、それを可能にする愛です。
・・・
「お言葉どおりに、この身になりますように!」。この言葉を私たちが容認し、認め、理解したときです。その点に、神が言われたことは成就されるという承認があります。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、660ff。

「他の側からの答」。それを受け入れること。
信仰がそこにあります。そこに神さまのみわざが前進します。

(祈り)
神さま、あなたのみわざを感謝します。


投稿日

カテゴリー:

,

投稿者:

タグ: