〔待降節―主の御母〕
2015年12月10日(木)
聖書の始めから終わりまでの内容と、私たちがキリスト教会、キリスト教の宣教と呼ぶ一切のものも、ひたすらイエスというこの名前にかかっています。
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この名前自体、偶然の名ではありません。イエスとは「救世主、救済者」を言います。これが告げているのは、人間は、自らを助けることはできず、救済者を必要としている失われた者であるということです。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、657ff。
旧約聖書で「ヨシュア」、新約聖書では「イエス」(イエス―ス)。それは「主は救い」という意味です。
自らを助けることのできない人間を救うためにこの地にやって来てくださった神さま。その神さまは「主は救い」という名前を持ってやってきてくださいました。
三位一体の神さまは、私を、そしてこの世界を救うためにこの地に来てくださいました。
(祈り)
神さま、あなたの救いのみわざを感謝します。