〔待降節―主の御母〕
2015年12月8日(火)
なぜマリアは驚くのでしょうか。それは当然の驚き、「神に対する驚き」です。しかしそれは、驚きが人を神から引き離すのではなく、人がまさにその驚きにおいて、畏れにおいて神に結ばれる、その時にだけそうなるのです。人がその時やっと正しく神に支えられていると知り、自分が畏れている神に対して持ちこたえる時にです。その驚きはここでマリアには問いとなって表されます、なぜ私に、他ならぬ私の身に起るのでしょうか、と。
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世の中には私たち自身以上に奇妙なものは存在しません!
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私たちがこの驚きを知らないなら、神がどなたであるか、まだ理解していなかったのでしょう。
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彼女は自らへりくだったのではなく、むしろ彼女はへりくだらされたのです。主要なのは自己卑下の芸ではなく、神と神の言の前に身を屈めることです。驚きの原因は全く別な側にあり、完全に、私たちに近づいてこられる方にあります。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、655f。
クリスマスのメッセージは、一口に言うと「インマヌエル」すなわち神さまがともにいてくださいます、ということです。
神さまがともにいてくださるということ自体が奇跡であるということを知らないと、この恵みが判りません。インマヌエルがなぜ恵みであるのか。それは奇跡であるからです。
その奇跡というのは、この卑しい私と聖なる神さまがともにいると語ってくださったからです。
その奇跡に驚くものは、ただ神さまの前に跪くしかありません。
喜びの驚きと感謝をもって跪くしかありません。
(祈り)
神さま、あなたがともにいてくださるのですか。