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マリア―慈愛の人

〔待降節―主の御母〕

2015年12月6日(日)

約束を受けるとは「人間である」、ということです。
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その意味は、信じること、全く信仰に身を委ねることです。信仰にあって考え、信仰にあって行動するのです。
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マリアは神の天使の訪問を受け、マリアが受けることが許される特別な地位へと呼び出されるのです。他ならぬこの特別の地位が示し、しかも再び明確に証明しているのは、人間離れした超人性、神への人間的適合性、仲介者である能力が存在しないことです。存在するのは人間を引き受ける神の恵みだけです。マリアが人格全体で表す神の特別なことに対する証しであるなら、こう言わなければなりません、この特別さは人間を引き受けてくださる神の慈悲である、と。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、652f。

マリアの素晴らしいところは、自らが人間に徹したことです。
人間に徹したということは、人間離れした超人性を持たないということです。
神さまに適合する人間的な何かを一切持たないということです。
神さまとの間に仲介者としての何らかの能力が一切存在しないということです。
ですからマリアが証しするのは、全く神さまの恵み、人間を引き受けてくださる神さまの慈愛のみです。そこがマリアの素晴らしいところです。

その神さまの慈愛に、ただ委ねること、それがキリスト教信仰です。

(祈り)
神さま、信仰に生かせてください。


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