〔待降節―主の先駆者〕
2015年12月5日(土)
ザカリアは神の民を見る、教会が世界の人間的敵の間でひどく脅かされているのを見る、でもそれらは教会の最悪の敵ではなく、最悪の敵は不信仰、迷信、邪信であり、それらの中で悪魔は自分の種を神の言(ことば)の間に混ぜるのです。それが現実の敵です。
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神は私たちをキリストにおいて引き受けられます、そこではキリストが私たちの救い主、解放者なのです。この救いは、神が御言を実現してくださることにあります。イスラエルはその御言を真実とせず、その誓約を破ります。だが神は自らの契約を忘れず、ご自分の約束を守られます。約束は約束です。それが救済なのです。
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かくのごとくに神は先祖たちに誠実でしたが、そのように神は私たちに誠実であります。
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神は見捨てられた状態にある私たちのことを、一生涯忘れることなく神に仕えてよいと、お心にとめておられます。これは一つの賜物(めぐみ)であり、ここに立てられるのは律法ではありません! それに加えて、神の臨在が私たちに与えられ、この臨在において生きる、つまり神に仕えることが許されている、という赦しがあるのです。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、650f。
神さまは、罪と滅びの中にしか生きることのできなかった私たちを救うために、御子イエスさまをこの地に遣わしてくださいました。御子イエスさまはまことの神でありまことの人です。
神さまはご自身の契約によって、私たちを救ってくださいました。またこれからも救おうとされます。この神さまはどこまでも誠実な神さまです。
神さまはご自身の契約によって、私たちを救い出すとともに、神さまご自身に奉仕する者にしてくださいました。これは神さまからの賜物であり恵みです。
神さまに奉仕するから祝福が与えられるのではありません。私たちは一方的な神さまの愛の中に救われたので、その神さまの大きな恵みの中で、主に仕えたいのです。主に仕えることを主が赦してくださっていることに、この上ない感謝をしているのです。
(祈り)
神さま、あなたにお仕えする喜びに生かしてください。