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慈しみ深い裁き主

〔キリストの裁きの座の前で〕

2015年11月30日(月)

私たちは日々刻々この方に対して、私たちの救いであるこの仲介者に対して罪を犯してきたということも、まさに明らかになるでしょう。他ならぬこの方のそばを通り過ぎて、私たちは単に偶像に過ぎない別の神々を尋ね求めたのです。
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要するに、他ならぬ「この方の敵」として私たちは生きてきて、今まさにその裁きの座の前に出よと言われています。
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来たるべき裁きを見通したときの大きな強い慰めは、裁判官が私たちの味方をしてくださるこの方であるということ―私たちはこの方を信じ、この方を信頼し、この方を愛することが許されているということであります。これ以上容易にこの尊い慰めは得られません。こうして慰めは得られるのです。
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この方が私たちの代わりに、私たちの位置に歩み入ったことによる私たちの場所、私たちの位置であります。
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この方が私たちの裁判官としてもう一度私たちのところへ降りてこられ、だが無敵の弁護士としてご自分を示そうとされること、それに頼ることになります。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、638ff。

イエスさまは、裁きの座における裁判官であるとともに弁護士でもある、とバルトは語ります。ここに大きな尊い慰めがあります。

(祈り)
神さま、大いなる慰めを感謝します。


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