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キリストによって私たちのために

〔悔い改め ― 回心への覚醒〕

2015年11月27日(金)

回心への覚醒は福音の力であり、それゆえに解放であり、そこから覚醒は力と、覚醒に固有な急進性と目的論を持つのであり、まさにそこから覚醒は人間をその全体において要求するのです。
・・・
あの方が私たちをまず愛してくださったことへの応答として。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、630ff。

悔い改めは、方向変換です。今までは自己中心に向って生きてきましたが、これからは神さまに向かって新しく生き始めます。
その新しい歩みは、自分自身の変化を伴います。その変化はひたすら、まずイエスさまが愛してくださったということに対する応答として、起こります。
おおよそこの変化がないとすれば、そこには真実の回心がないのです。
それゆえ救いということからは遠く離れています。

キリスト教信仰において、神さまを信じるということは、なにやら非現実的な、非自然的なものの存在を認めることではありません。
キリスト教信仰において、神さまを信じるということは、生まれつきの自己中心という方向性を、悔い改めによって、180度変えられるということです。
キリストが私を愛してくださった、ということへの応答として、神さまを愛して生きていくことです。

イエスさまを信じたといっても、ただ超自然的なことを認めているだけで、自分の今までの生き方を改めないならば、それはイエスさまを信じていることではありません。従って、罪のゆるしや永遠のいのちという救いの恵みからも遠く離れているのです。

(祈り)
神さま、真実の悔い改めに生きさせてください。


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