〔悔い改め ― 回心への覚醒〕
2015年11月25日(水)
人が立ち上がるには「方向転換」をします。聖書によれば人びとが起こされる眠りとは、彼らの間違った道での歩みです。
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この眠りから目覚めることと立ち上がることとは、聖書によれば方向転換することであり、逆の道をとって進むことです。
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それは私たち人間が聖書において成就するのを見る運動です。
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彼らは神からもはや逃げることは出来ず、神に向かって走るために、むしろ強いられており、出かけようとしているのです。これが方向転換の動きです。
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「方向転換」とは、軸をめぐる動きを述べています。
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新しい人の生活を方向転換中の動きにする軸とは、神が人のために、従って人がまさに神のためにあるということです。
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神は人のために、人は神のためにいるので、人は自らのこれまでの道を進むことはできず、許されず、反対の道をとって進むために、彼は方向転換することが許され、方向転換しなくてはなりません。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、627f。
信仰に生きるということは、回心するということです。
回心するということは、方向転換するということです。
ですから信仰に生きる人は、つねにこの方向転換に生きる人です。
相変わらず眠りの中に、つまり古い自分に生きている人は、信仰に生きている人ではありません。
信仰に生きる人は、神さまのために生きる人です。
(祈り)
神さま、今日も方向転換した者として、あなたに向って生きることができますように。