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すべて過ぎ行くものは一つの比喩に過ぎない

〔最後の出来事〕

2015年11月12日(木)

すべて移ろうものは比喩に過ぎません〔ゲーテの『ファウスト』の終句〕。つまり聖書的な直感世界の対象物も、移ろいやすいものの一部であり、それらは仕えるが支配せず、価値を持つが存在することを欲しないということ、それに関して聖書自らがとにかく私たちに疑いを抱かせません。
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永遠とは、他の人びとも語るかもしれませんが、神の永遠であります。すなわちそれゆえに神の支配、神の国であり、創造主、解放者、物事、歴史の王としての神の無条件の卓越であります。従ってまさに世界、時間、物事、特に人間の無限性ではなく、そうではなくてそれらの本源的有限性であります。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、603ff。

世界も、出来事も、私たち自身もすべて有限の中にあります。
しかし神さまご自身は無限、永遠のお方です。
その神さまと信仰によって結ばれるとき、有限であった私たちも無限の恵みの中におらせていただきます。

人生の最期の時が、有限の中にある私が無限の時を迎える時である、ということであるならば、今ある目に見えること、目に見えないことのすべてが過ぎ行くものであり、有限であるということを告白します。

どんなに大きな幸福の中にもおごらず、どんなに大きな不幸の中にも希望を失いません。永遠である神さまと結ばれた者にとっては、それらのすべてが過ぎ行くものだからです。

(祈り)
神さま、今ある過ぎ行くもののすべてが有限性の中にあることを教えてください。


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