〔終わりつつある時〕
2015年11月9日(月)
私たちは死ではなく、神を畏れなければなりません。しかし信頼の慰めがない私たちは、他ならぬ神を信頼することなしに、しかも徹底的に完全に信頼することなしには、他ならぬ神を畏れることはできません。
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私たちはいつかもはや存在しないでしょう。だが神はその時も私たちのために存在しておられるでしょう。だから私たちの将来の非存在は私たちの無を意味することはありえません。
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私たちは死においても徹底的に完全にその方を信頼することが許されているのです。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、598f。
私たちがいつか必ず迎えることになる「死」さえも神さまの御手の中にあります。私たちは死によって存在しなくなります。しかしそれはもはや「無」ではありません。その時も神さまの愛の中にあるのです。
(祈り)
神さま、死を滅ぼしてくださったあなたの御名を賛美します。