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「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように(私たちが賢明になって、死ななければならないことを考えるように教えてください)」。 詩篇90編12節

〔私たちの死〕

2015年11月1日(日)

自分の日々を数えるなら、それが数えられているということを、別な言葉で考える、つまり自分が死ななければならないことを考えます。
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私たちが死ななければならないことを熟考すること、それができるように、そしてそうするように、そのことを私たちに与えてください、贈ってください、教え示して、私たちから取り出してください、と。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、583f。

死には、三つの死があります。日々新聞やテレビなどで報道されている誰かの死、つまり三人称の死、そして愛する人、あなたと呼ぶ関係の中にある人の死、つまり二人称の死、そして自分自身の死、つまり一人称の死。
人間はいつか必ず死を迎えますので、みなこの一人称の死に向っています。この一人称の死をどう考えていくのか、それは人間に与えられた人生のテーマです。これがあるので、人生を考えるようになります。生き方を考えるようになります。
一人称の死を考えるために、三人称の死、そして二人称の死は大きな示唆を与えてくれます。

しかし人間はこのように死を自分の経験や自分の知恵だけで考えることができるのでしょうか。聖書は、神さまに向かって「教えてください」と祈るように、私たちを導きます。私たちは神さまに教えていただかなければ、死を考えること、熟考することができません。

(祈り)
神さま、賢明になって死ななければならないことを考えるように教えてください。


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