〔教会と諸教会〕
2015年10月27日(火)
教会統一の課題の成否は本質的必然的に、あらゆる教会の行為の前提である「キリストの言(ことば)を聴く」というあの具体的で実際の課題いかんによります。
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かくして私たち自身の、私たちの祖先たちの隠された(しかもとっくにもはやまったく隠されてはいない!)罪をも告白します。しかし、そうすることでキリストの呼びかけにも告白します。今やまさに ― 密かな人間の思い違いやごたごたによってぼかされていようと ― 間違いなくこのように来られたキリストの呼びかけに対してです。キリストが私たちにこのようにしか呼びかけられなかった以上、私たちは自らの教会に信仰告白することでのみ、キリストに信仰告白をします。しかし、キリストが実際に違う呼びかけをなさったなら ― その時はまさに別な教会であって、その教会に私たちは自らの教会として信仰告白しなければなりません。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、571f。
教会の主はイエスさまご自身ですから、イエスさまのお語りになるみことばに聴く群れであるかどうかが、教会であるかどうかの分かれ道になります。
(祈り)
神さま、あなたの言葉に聞き従う者とならせてください。