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諸教会の一致の課題

〔教会と諸教会〕

2015年10月26日(月)

イエス・キリストが教会の一致であり、諸教会の多数性が私たち自らの悩みであるならば、諸教会を「教会」へと統一することは一つの課題、しかも主により教会に定められた「課題」、一つの「命令」であるという事実は避けられません。
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命令の実現は全く、もっぱら支配者イエス・キリストご自身の業であるということであって、教会はしっかりと主に向い、教会の多数性にもかかわらず、すでに一致しており、まして私たちの意志、能力、努力によって一致させられるには及ばないということです。
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私たちのキリスト教的業によるのではなく、イエス・キリストを信仰することで、その実現にさんかすること
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お互いに信仰を告白し合い、すなわち一緒に外に向って、世に向って語り、それにより教会の基礎をなすイエスの命令を執行できるということ
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全員一致の信仰告白への諸信仰告白の統一を意味するでしょう
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キリストにおいてのみこの使命は果たされており、キリストの声、キリストの呼びかけのみがこの統一をもたらすことができるという命題に私たちが立ち戻るならば、それが教会の統一という課題への問題を回避することではなく、この問題の可能な限りの回答です。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、569ff。

教会が一つとなる事が、イエスさまからの課題、命令である、とバルトは語ります。しかしそれは私たちのキリスト教的な業によって実現されるのではなく、イエスさまによって実現されることです。
そしてそれは内に向って一つを確認するのではなく、一緒に外に向って、世界に向って、信仰を告白することによって、導かれることなのです。

私たちが宣教に生きようとするのは、公同の教会を信じているからなのです。

(祈り)
神さま、世界に向ってあなたの愛を語る教会としてください。


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