〔教会と諸教会〕
2015年10月24日(土)
一致に根差したこの多様性に、その一致を引き裂いていく諸教会の多様性が加わることは、まったく不可能です。
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諸教会が生き生きしていれば、私たちはキリストの言葉に聞き従います。
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平和がないのに平和、平和! と叫ぶ人々に傾聴することなく、分かれていきます。諸教会はその時は分離しなければならず、あるいはすでに生じてしまった分裂に固執せずにはおれません。しかもそれはまさに私たちがここで立ちすくむ苦悩であり、このような必然、キリストから由来する必然が存在し、それは今やまさに、またもやキリストに由来する不可能なものとしてしか理解できないものを、現実にするのです。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、566f。
キリストのからだは一つです。その一つが教会です。その中にさまざまな賜物の違いをもつお互いがおらせていただいています。その違いを包み込むのが教会です。
しかし教会の一致を引き裂く多様性があります。それは教会の多様性です。その多様性を教会は包み込むことはできません。一致といいつつ、そこには分離が起こるのです。この分離はイエスさまに由来する不可能なものとしてしか理解できません。それが現実です。
だから私たちは公同の教会を「信じ」ます、と告白するのでしょう。教会は理解するものではなく、信じるものなのです。
(祈り)
神さま、多様な教会の存在を目の当たりにしつつ公同の教会を信じる道を教えてください。