〔教会における交わり〕
2015年10月19日(月)
キリスト教の「施設および建物共同体」。それは、この奉仕の訓練あるいは奉仕への準備が、外部の生活共同体の設立を必要とする時に、信仰と愛の確かな奉仕への使命を意識することから生じています。
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そこでは、聖霊を損なうことなく、なお独自の精神があって、人はその精神に親しみ、適応し、従順で忠実であるよう義務付けられてもいます。
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「キリスト教的協会」。これを施設共同体から区別するのは、それが生活共同体ではなく、まさにただ社会的に組織された信念と行為の共同体だということです。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、557f。
神さまに従うのか、それとも人に従うのか。
神さまに従うならば、そこに人間の限界への理解と許容があります。
しかし人に従うだけならば、人間の限界にはお構いなく、要求がいっぱいになり行き詰まってしまいます。
私は全てをご存知の神さまに従うところに真の愛があることを信じています。
ただ人間の要求に隷属することが愛であるとは考えていません。
(祈り)
神さま、あなたのみこころをたずね求め、あなたのみこころに従う者とならせてください。